一輪の白いバラ
ちょっと前になるけれど、6日土曜日は新宿で初のワセオケ演奏会『アーリーサマー・コンサート』。ハイドン「太鼓連打」、スメタナ「モルダウ」、ベートーベン「交響曲第3番 エロイカ」など。二男は、花束受付係。
ふつうにプロのオーケストラを聴く意識で聴いてしまった。上手。モルダウの入りが少しぱらぱらとして、あ、そういえば学生オケなんだと我に返ったり。でも、なんかものすごく若々しい河の流れを感じさせてくれて、あれはあれでよかった。
ベートーベン3番は、生で聴くのは初めて。気迫のこもった演奏ですばらしかった。陰鬱な第2楽章が、生で聴くとずっと立体的で、カラフルで、おもしろかったです。
いやあ、しかし、大変だろうな4年間。がんばれよ、二男。
仕事は素粒子だの量子だのとの格闘をひとまず終えて、つぎの章へ。ネットでさがした参考図書を借りに、自転車で隣町の図書館へおもむく。初めてのところだったので、目指す棚だけでなく、なんとなくあちらこちらをぐるぐると。音楽の棚で、家にある茂木大輔さんの本をふと手にとってパッと開いたら、ずっと心に残っていたのに何冊かあるうちのどの本、どのページにあるかわからず、そのままになっていた一節が目に飛びこんできた。うれしかったので、またどこかに行ってしまわないうちに書き留めておこう。
※茂木大輔さんは、N響のオーボエ奏者。『のだめカンタービレ』の音楽アドバイザーをしていることでも知られている。ときどきTVにも出たりしているけれど、しゃべりより文章のほうがうんとおもしろい。ちなみに青島広志センセというお姉ことばの先生がいるが、この方はしゃべりのほうが圧倒的におもしろい(とわたしは思う)。そして、元N響のバイオリニストで『バイオリニストは肩が凝る』 (アルク出版企画)というめちゃくちゃ愉快ですばらしいエッセイ集を出している鶴我裕子さんという方は、一度だけTVでお見かけしたことがあるけれど、しゃべりと文章のトーンがまったくいっしょ! 一見ぶっきらぼうで、受けようなんてちっとも思っていないのに、巧まざるユーモアがあってとてもすてきな方だ。
茂木さんが書いているのは、ある日のコンサート後の楽屋裏。戻ってきたらオーボエのリードをひたしておく小瓶に白いバラの花の首のところだけが一輪生けてあった。聞けば、大きな花束からぽろりと落ちたのを、ヴァイオリン奏者の黒柳さん(黒柳徹子さんの弟)がひろって、ひょいと生けたのだという。そのときの感慨:
「花束から落ちた一輪の花を見捨てずに、通りすがりにひょい、と拾いあげ、手近なところにあった水にちょっと活ける。なんでもないことのようで、凄く余裕のある、風流な人でなければできないことのように思えた。寡黙に、静かに、たくさんのヴァイオリン奏者に交じって自分の楽器に耳をあてて演奏している黒柳さんの心には、こんなに美しい光が満ちていたのだった。
大きな花束が美しいのは、それを構成するひとつひとつの小さな花が、たとえ目立たなくとも手抜きなく美しいからにほかならない。
いわば、ひとりひとりの丹精こめた音ばかりを集めて作るオーケストラの音は、無限に贅沢な『音の花束』なのである」(『オーケストラは素敵だ』中公文庫 p.179)
わたしはなんでもすぐ自分に引きつけて考えてしまうので、この文章を読んだ瞬間、翻訳も同じだなあと思った。一文一文に凝らされた工夫――いや、工夫というよりもむしろ、無駄なことばをそぎおとし、読点の位置を考え、視点をそろえ、前後とのダブりがないよう気を配り……といった地味な配慮――は、けっしてそのひとつひとつが目立つものではない(し、目立ってはいけない)けれど、そうやって磨かれた文が並んでいる文章は、全体としてすらすらと読みやすく、キレがあり、自然と作者の言いたいことが立ちあがってくるのではないかと思うのだ。そういう文章を書きたい、というのが常日頃からのわたしの願いだし、今でも月に一度勉強会に通って学ぼうとしているのはそのための技術や心構えなのだけれど、なかなか見果てぬ夢のようにはるかな目標なのだった。
さ、また常温核融合の世界へもどろう(笑)。がんばります。
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