面白きこと知りたきことの数多あり……
(承前)
……というわけで、母の思いについて。
母は、戦前、十文字女学院から実践高等女学院の国文科に進み(金田一京助先生の授業なども受けたそうな)、その後、恩師(金田一先生ではなく別の方)の推薦もあって岩波書店に勤めるようになったみたいです。
主に辞書の編集の仕事をしていたとのこと。よくはわからないのですが、言葉をカードに書き出してそれをファイルして……というような。ほかに、いわゆる編集業務のようなこともあったんでしょうか。最近、いろいろ昔話をするようになってからの口癖は「出版社の仕事はあまりおもしろくなかったの。だって人の原稿をあっちからこっちへやるだけでしょう」……って、なんてぜいたくな! 出版業界の人たちが聞いたら腰抜かしますぜ(笑)。わたしも腰抜かしますって。わたしの仕事は人が書いたものを横からたてに直す“だけの”仕事なんだから。
やがて戦火が激しくなり、母も3月の空襲で家を焼かれて山形に疎開。岩波はそのとき退社します。
そして終戦。戦後まもなく父、孝太郎が風邪をこじらせて亡くなり、葬儀に訪れた読売新聞の社長(たぶん馬場さんという人)が「かわいそうだからと拾ってくれて」読売新聞に入社。最初は庶務だったそうですが、そのうち「ちょっと書いてごらんって、記事を書かされたら、なんとなく書けちゃったの」ということで、記者に。(「なんとなく書けちゃったの」のあとに、かならず「あなたもそうでしょう?」と続くのですが、わたしはなんとなく書けちゃった、なんてことはなく、原稿はいつも苦労して書いてます(^_^;;)
その後〈読売ウィークリー〉というタブロイド判の週刊誌に配属され、当時新人で入ってきたナベツネ氏と職場を共にしたこともあったようですが「半年ほどで中央の人脈をつかんで引っぱられていったわよ」ということで、当時からナベツネ氏はそういうことに長けていたみたいですな。いくらなんでももうそろそろ隠居すればいいのにね。
そして(ここらへんがよくわからないのですが)社内で父と知り合い、「おとなしそうな人だと思って」請われるままに、ともに大阪へ転勤。大阪讀賣新聞社の立ち上げの年(1952年)が結婚した年らしい。これも今回初めて知りました(^_^;;
大阪読売では社会部に配属されて、飯干晃一氏(「シャリやん」)や黒田清氏(「黒ちゃん」)と仕事をしていたみたいです。でも詳しいことはわからず。(余談ですが、ウィキで黒田氏の項目を見ると、今回の清武の乱を彷彿させるところがあって胸が痛みます。清武さんも、もう少し勝算を見きわめてからクーデター起こしてほしかった……。)
ただ、新聞社時代の仕事は「おもしろかった」らしい。それは繰り返し口にしていました。「おもしろい仕事ができたからよかったわ。そうすればあとからいろいろ思い出すこともできるでしょう。おちびさんたちも何かおもしろいことが見つかるといいわねえ」
人脈がどうとか、あとに残る業績がどうとかではなく「おもしろいことが見つかるかどうか」。それが母には一番だいじだったし、子どもに対しても孫に対しても望んだことでした。
うちの長男は、何を胸に秘めているのか語ろうとしないのですが、「おばあちゃんの望みを受けとめなきゃね」と言ったら、「わかってる」ときっぱり言ってくれたので、信じましょう。何をする気か知らないが、しっかりやれよ。
二男は、こんなわが家の環境ゆえ、どうしても出版関係に興味があるようなのですが、実家で妹やわたしの父の前でそんな話をしたら「明日なき業界」と集中砲火(^_^;; ひどいやん。
でも話しているうちに父が「うちのじいさん(父親:わたしの祖父のこと)も昔『帝国発明家列伝』なんていう本を出して、初めは売れたけどすぐ売れなくなった」なんて言いだして「えーっ、そうだったの? 初めて知った」と妹とわたしは唖然。まったくあとからあとから知らない話が出てくる家です。
さて、母は、結婚後しばらく勤めて、わたしができたときに仕事をやめ、その後は専業主婦でしたが、俵万智が『サラダ記念日』を出したあと、それに触発されて、彼女を輩出した同人『心の花』に加わり、短歌を書きおくっていました。1990(平成2)年から2008(平成20年)ごろまで。その雑誌が山積みになっているので、少しずつ整理していこうと思っています。
掲載時にもちょくちょく読ませてもらっていたのですが、あらためて続けて読むと、短歌の集積が個人史にも、家族史にも、小さな現代史にもなっていることに気がつきました。最後にいくつか引用しておきます。
(いずれも『心の花』所収。年、月は掲載月。)
◎世界
戦き(おののき)はさぞ深からんガスマスク配給受くるイスラエルの人よ(1991.1)
フセインとブッシュの大儀相撃てば民逃げまどうアラビア砂漠(1991.4)
◎家族
魂の緒はいまだ切れねば痛むごとみどり児は泣く母を探して(1992.2)
孫らの背鴨居に近しこれがあの母を探して泣きいし子らか(2008.4)
◎花・猫
さりげなく瓶に涼しき百合なれど切花ゆえの疼きもあらむ(1991.9)
人絶えし夜を灯に透きてひたぶるに桜はおのが為に咲くなり(1991.7)
よく食らいよく寝るだけで本当に倖せなのか猫に訊きたい(2007.10)
◎心
口答えせぬと決めれば夫婦の日々たいらかにしてそよ風の如(1991.9)
熱かりし旅への想い鎮め観るテレビの流す外つ国のさま(2006.12)
心にはそれほど皺のよらぬこと老いて気付きぬしみじみ嬉し(2007.4)
面白きこと知りたきことの数多あり退屈知らぬ老いの日々かな(2007.4)
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